なぜそんなにストイックなのか?早稲田受験で一転した人生
小学校、中学、高校と地元の普通の公立校に通ったわたし。
兄や妹は野球やバスケのために私立の中学や高校に行ったのに、特になんの特技のない私は迷うことなく公立を選びました。
部活は陸上部に入っていましたが、特にずば抜けて速いわけではなく、仲のいい友達と毎日楽しく過ごしていました。
高校2年の終わり頃、そろそろ進路の話が学校でも頻繁にされるようになり、
「自分はどんな仕事に就きたいんだろう…」
「何がしたいんだろう…」
と、初めて自分の「人生」という大きな壁と向き合いました。
早稲田を目指したきっかけ
考えても考えても思いつかない。自分でも何がやりたいのか、何が好きなのか、何が得意なのかわからない。
そんな時出会ったのが、早稲田大学に通うハタナカさんというお兄さん。
高校は俗に言うバカ校だったらしいんですが、俺、このまま落ちこぼれでいいのかな…と悩んだ末に早稲田大学を受験することを決意。
それから1年間猛勉強して見事早稲田大学合格を果たした偉人です。
わたしも彼の話を聞いて、
「早稲田大学に行きたい!!一発逆転したい!!(あわよくばハタナカさんの彼女にしていただkt...)」
と思い、受験を決意!
当時はバイトと中学の友達と遊んでばっかりで、見た目からして頭悪そうだったので、ちょっとこの辺で一発逆転して周りを驚かせたいっていうよくわからない感情が芽生えたんですよねぇ。
(高校の時はふっつーに茶髪ですた。頭悪そう。)
早稲田にいく決意をし、激変した私の生活
そしてそれから猛勉強。
一日10時間は勉強してました。
授業中も受験の勉強で話聞いてなくて怒られたこともしばしば。
だったらもっとレベルの高い授業しろ!!ぐらいの勢いで先生に歯向かって周りが見えていない子になってました。(先生ごめそ)
もうそれくらい必死で頭おかしくなるんじゃないかってくらい勉強しました。
食べる時間ももったいないと思うようになり、結構まるまるしてた私は10㎏以上痩せたかな。
そして、あっという間に高校3年の1年は終わり、早稲田受験当日。
政治経済学部、商学部、教育学部、法学部、社会科学部の5つだったかな?
全部手応えはゼロ。
そして、合格発表では…
全部不合格。
やっぱりバカはバカだった。
悔しくて悔しくて大泣き。
支えてくれたお母さんに申し訳なくて…
お母さんも一緒に涙…
悩んだ末…
「一浪する」
そこからまた悪夢のような長いようで短い1年が始まったのでした。
(現役で落ちて友人がディズニーに連れ出してくれた時の。激痩せヤブァイ)
一浪中のありえない生活…
朝6:00 起床して朝ごはんはカップスープで軽く済ます。
6:30~12:00(5時間半) ノンストップで問題を解く。
12:00~13:00 ヒルナンデス!を見ながらお昼休憩。
13:00~18:00(5時間) 勉強。
18:00~19:00 ご飯休憩。
19:00~24:00 (5時間)インプット系の勉強。
これを1年続けました。
最高14日間一歩も外に出ないということもありました。
そして…
うつ病、抜毛症に。
鬱はまだ軽度だったので、今は再発することなく過ごせていますが、
当時は、「隣の家の子供が泣いてる…」といって壁に顔面をくっつけて立っていたり、突然発狂しはじめるといったやばい感じでした(笑)
母に「あんた病院行った方が良い!」と言われ、精神科に連れていってもらい、軽いうつ症状だと判明。
ついでにストレスで眉毛を抜く癖がついてしまって、眉毛全部なかったです(笑)
こんな感じでお医者さんには無理はしないようにと言われましたが、勉強を続け、受験を迎えました。
過酷な浪人生活の先に待っていたのは…
今度は念のため、フェリス女学院を滑り止めで受け(系統全然ちがうw)、早稲田が決まる前に合格通知をいただきました。
早稲田受験当日。
緊張でおなかが痛くなったのを覚えています。
今度は前年よりも手応えがあり、もしかしたら!!という結果でした。
そして私が得たのは…
補欠合格。
ほ…
補欠か…
からの不合格www
まさかの!!!
もう早稲田には縁がないと思いましたが、「も…もう一浪…」と言い始め…
母に全力で阻止されますた。
「早稲田だけが全てじゃないよ。道はたくさんあるんだから。」
母の言葉に、確かにそうだよな。と納得し、早稲田への道は幕を閉じたのでした。
…って、え?なんか忘れてない?
はっ!!!フェリス!!!!フェリスはどうなったんだ!!!
「…ごめん。ママさ、入学金振り込むの忘れてた」
えっ?
…うっそ。まじで?
母ーーーーーーーー!!!!
早稲田のことで頭いっぱいで振り込み期限忘れたとのこと。
わたし、どうしたらいい?
とまぁ、ボロボロで最悪の受験生活は幕を閉じたんですが、
その後、うつ病でなかなか外に出れず…
1ヶ月くらい、家でずっと泣いていました。
まぁ、いわゆる、挫折ですね。
「友達と遊んできたら?」と言ってくる母に、
「ママが友達だから。」とかよくわからんことを言っていたそうです(覚えてるような覚えてないような…)
その後は、いろいろあってハワイの大学に留学することになったんですけど、それについてはまた別の記事で書こうかと。
今だから思うあの過酷な受験生活から得られたものとは?
早稲田受験をして、うつ病や抜毛症まで患った結果、不合格でものすごく苦しい思いをしたんですが、約10年経った今は、あの時本気で頑張ってよかったなって思います。
あの時の経験のおかげで、留学中も一生懸命勉強に取り組むことができ、オールAで卒業し、返済不要の奨学金ももらうことができて学費はほぼ全額免除を受けました。
今もイラストを描いていますが、より早く成長するためにかなり努力している方かな?と思います(多分)。
子育てしながら、本業もしながら寝る間を削って、テレビも一切見ずに、ひたすら絵の練習、流行の研究など空き時間は勉強にあてています。
その甲斐あってイラストレーターとして活動して初月から利益をえることができ、売り上げは右肩上がりです。
一見、無意味だったように思えることや苦しい経験も、必ず何かの役に立っていて、自分の人生の支えになっていると思います。
苦しい時は気づかないけど、その苦しい時期もきっといつか自分の財産になるはずです。
なので、辛い時、悲しい時、苦しい時、挫折したとき、逃げ出さずに最後までやり切ることは自分の成長のために必要だと思います。
どうかこの記事が、今どこかで苦しんでいる人の支えとなりますように…
最後まで読んでいただきありがとうございます。
無事卒業